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東京地方裁判所 平成7年(ワ)8901号 判決 1999年3月24日

原告 林永昌 ほか七名

被告 国

代理人 川口泰司 大圖明 近藤秀夫 川上忠良 ほか五名

主文

一  原告らの請求の趣旨1ないし4の請求をいずれも棄却する。

二  原告らの請求の趣旨5及び6の請求に係る訴えをいずれも却下する。

三  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、別紙刑死者目録及び同拘禁者目録記載の者らが先の大戦のBC級戦犯として、日本国の戦争責任を日本国に代わって負担させられ、かつ、戦後、日本国が右の者らを放置したことに対し、公式に陳謝せよ。

2  被告は、原告林永昌に対し、五〇〇〇万円を支払え。

3  被告は、原告崔聖欽に対し、一一八二万九二〇〇円を支払え。

4  被告は、原告李義度、原告李順禮、原告崔榮台、原告丁漢秀、原告申明休、原告陸英淑に対し、各五〇〇万円を支払え。

5  被告は、原告林永昌に対し、別紙刑死者目録記載の者が戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律(昭和二八年法律第一八一号)附則二〇項に規定する日本国との平和条約一一条に掲げる裁判により刑死した者で、厚生大臣が当然死亡を公務上の死亡と同視することを相当と認める者であることを確認する。

6  別紙刑死者目録及び同拘禁者目録記載の者らが、先の大戦のBC級戦犯として、日本国の戦争責任を日本国に代わって負担させられたことにより被った日本国の公務(犠牲)について、被告が国家補償立法を制定しないことは違法であることを確認する。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本件訴えのうち請求の趣旨1、5及び6の請求に係る部分をいずれも却下する。

2  本件訴えのうち請求の趣旨2ないし4の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は原告らの負担とする。

4  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  原告らの主張

1  原告ら各自の事実関係等

(一) 原告林永昌

原告林永昌は、林永俊の弟であり、同人の相続人である。

林永俊は、大正一一年(一九二二年)一二月一四日、日本国民として出生した。同人は、昭和一七年(一九四二年)六月、後記軍属国家契約に基づき、朝鮮総督府に徴用され、釜山の野口部隊(臨時教育隊)で二か月の訓練を受けた後、タイ俘虜収容所第三分所モルメン収容所に配属され、昭和二〇年(一九四五年)八月まで俘虜監視の任務に服した。同月、BC級戦犯容疑者として、シンガポールのチャンギ刑務所に拘禁され、オーストラリア軍事法廷にて絞首刑判決を受け、昭和二二年(一九四七年)七月一八日、処刑刑死した。

林永俊は、戸主ではなく、妻子がなかったため、戸主である父親の林熈鐘が林永俊を単独相続したが、その後、林熈鐘は、一九六七年一二月二三日に死亡し、林熈鐘の五男である原告林永昌は、林熈鐘の相続人であることから、林永俊の権利義務を承継した。

(二) 原告李義度

原告李義度は、大正九年(一九二〇年)一〇月二〇日、日本国民として出生した。同人は、昭和一七年(一九四二年)六月、後記軍属国家契約に基づき、朝鮮総督府に徴用され、釜山の野口部隊(臨時教育隊)で二か月の訓練を受けた後、マレー俘虜収容所第一分所に配属され、昭和二〇年(一九四五年)八月まで俘虜監視の任務に服した。昭和二一年(一九四六年)春、BC級戦犯容疑者として、シンガポールのチャンギ刑務所に拘禁され、その後、スマトラ島、ジャワ島に移送され、オランダ軍事法廷にて五年の実刑判決を受け、昭和二五年(一九五〇年)三月、巣鴨刑務所に移送され、同年四月まで四年間拘禁された。

(三) 原告李順禮

原告李順禮は、昭和二五年(一九五〇年)一二月に朝鮮戦争で死亡した崔元周の妻であり、同人の相続人である。

崔元周は、大正七年(一九一八年)二月八日、日本国民として出生した。同人は、昭和一七年(一九四二年)六月、後記軍属国家契約に基づき、朝鮮総督府に徴用され、釜山の野口部隊(臨時教育隊)で二か月の訓練を受けた後、タイ俘虜収容所第二分所に配属され、昭和二〇年(一九四五年)八月まで俘虜監視の任務に服した。昭和二〇年(一九四五年)八月、BC級戦犯容疑者として逮捕され、タイのバンカン刑務所に昭和二一年(一九四六年)二月まで七か月間拘禁された。

(四) 原告崔榮台

原告崔榮台は、大正一一年(一九二二年)五月一七日、日本国民として出生した。同人は、昭和一七年(一九四二年)六月、後記軍属国家契約に基づき、朝鮮総督府に徴用され、釜山の野口部隊(臨時教育隊)で二か月の訓練を受けた後、タイ俘虜収容所第三分所に配属され、昭和二〇年(一九四五年)八月まで俘虜監視の任務に服した。昭和二〇年(一九四五年)秋、BC級戦犯容疑者として逮捕され、タイのバンカン刑務所に拘禁され、昭和二一年(一九四六年)五月、シンガポールのチャンギ刑務所に移送され、昭和二二年(一九四七年)一二月まで二年四か月間拘禁された。

(五) 原告丁漢秀

原告丁漢秀は、平成五年(一九九三年)七月二六日に死亡した丁永太の三男であり、同人の相続人である。

丁永太は、大正一一年(一九二二年)一〇月五日、日本国民として出生した。同人は、昭和一七年(一九四二年)六月、後記軍属国家契約に基づき、朝鮮総督府に徴用され、釜山の野口部隊(臨時教育隊)で二か月の訓練を受けた後、マレー俘虜収容所第二分所に配属され、昭和二〇年(一九四五年)八月まで俘虜監視の任務に服した。昭和二〇年(一九四五年)一〇月、BC級戦犯容疑者として逮捕され、シンガポールのチャンギ刑務所に昭和二一年(一九四六年)一一月まで一年一か月間拘禁された。

(六) 原告申明休

原告申明休は、大正一一年(一九二二年)二月一八日、日本国民として出生した。同人は、昭和一七年(一九四二年)六月、後記軍属国家契約に基づき、朝鮮総督府に徴用され、釜山の野口部隊(臨時教育隊)で二か月の訓練を受けた後、ジャカルタのジャワ俘虜収容所に配属され、昭和二〇年(一九四五年)八月まで俘虜監視の任務に服した。昭和二〇年(一九四五年)九月、BC級戦犯容疑者として、ジャカルタのタチプナン刑務所に拘禁され、ジャカルタのオランダ軍事法廷にて五年の実刑判決を受け、昭和二五年(一九五〇年)一月、巣鴨刑務所に移送され、同年四月まで四年八か月間拘禁された。

(七) 原告崔聖欽

原告崔聖欽は、大正九年(一九二〇年)三月七日、日本国民として出生した。同人は、昭和一七年(一九四二年)六月、後記軍属国家契約に基づき、朝鮮総督府に徴用され、釜山の野口部隊(臨時教育隊)で二か月の訓練を受けた後、マレー俘虜収容所本所派遣第二分遣所に配属され、昭和二〇年(一九四五年)八月まで俘虜監視の任務に服した。昭和二〇年(一九四五年)一〇月、BC級戦犯容疑者として逮捕され、シンガポールのチャンギ刑務所に昭和二一年(一九四六年)一一月まで一年一か月間拘禁された。

(八) 原告陸英淑

原告陸英淑は、昭和六〇年(一九八五年)九月一六日に死亡した陸永萬の長女であり、同人の相続人である。

陸永萬は、大正一一年(一九二二年)一一月六日、日本国民として出生した。同人は、昭和一七年(一九四二年)六月、後記軍属国家契約に基づき、朝鮮総督府に徴用され、釜山の野口部隊(臨時教育隊)で二か月の訓練を受けた後、フィリピンのマニラ収容所に配属され、昭和二〇年(一九四五年)八月まで俘虜監視の任務に服した。同月、BC級戦犯容疑者として逮捕され、シンガポールのチャンギ刑務所に拘禁され、三年の実刑判決を受けた。

2  軍属国家契約に基づく損害賠償請求

(一) 被告国は、林永俊、原告李義度、崔元周、原告崔榮台、丁永太、原告申明休、原告崔聖欽、陸永萬(以下、右の者らを合わせて「本件元軍属ら」という。)との間で、昭和一七年(一九四二年)六月、大東亜戦争という国家最高の国策遂行のための強制徴用として、次の(1)ないし(3)の内容を構成要素とする軍属国家契約を締結した。

(1) 軍属使役契約

<1> 徴用者 日本陸軍

<2> 任務 俘虜監視

<3> 身分 陸軍軍属

<4> 本俸 一か月五〇円

<5> 退職金 八〇〇円

<6> 軍務年限 二年

(2) 軍属身分契約

<1> 本件元軍属らの身分は陸軍軍属とし、俘虜監視の軍務に服務する。

<2> 本件元軍属らは、長上の命令は内容如何を問わず直ちに服従すべき旨定めた軍属読法を遵守すべきことを誓約する。

<3> 本件元軍属らは、軍人勅諭と戦陳訓を暗唱し、軍務の心得として遵守する。

<4> 本件元軍属らの軍務は、陸軍規範に基づくもので、これに基づく行為と結果については、軍が一切の責任を負担する。

(3) 軍属保証契約

<1> 二年を経過したときは、本件元軍属らを除隊せしめて帰国させる。

<2> 留守家族のことは、被告国の責任において一切憂いのないように万全を期す。

<3> 軍務において、待遇において、万が一生じた犠牲に対する補償において、後顧の万全において、内外一体、一切の区別をしないことを国家保証する。

(二) しかるに、日本政府は、軍属国家契約上の国家保証に反し、本件元軍属らを二年で除隊させて帰国させることをせず、軍務を強制継続させた。

日本政府はポツダム宣言を受諾したが、その結果、本件元軍属らは、連合国の軍事裁判により、俘虜監視の任務中の行為を問責され、日本国民(BC級戦犯)として、処刑・拘禁されるに至った。留守家族の苦悩、生活苦は筆舌に尽くせるものではない。その上、本件元軍属らは、釈放後も必要な援護もなく、その日から路頭に迷い、日常生活の困窮は筆舌に尽くし難いものがあった。そのため、中には精神に異常をきたした者もあった。今日に至るも、日本政府は、本件元軍属らの復員給与も、退職金も、強制貯金も、未払のまま放置している。

日本政府は、本件元軍属らに対し、右のような犠牲について、軍属国家契約に基づく国家補償責任(国家契約不履行責任)を負っている。

(三) 原告らの犠牲と労苦は、財産権にとどまらず、人格権に及ぶものであり、その補償額を金額に算定することは到底できないが、あえて諸事情を考慮して算定するとすれば、原告林永昌については五〇〇〇万円、その余の原告らについては、各五〇〇万円を下らない。

(四) よって、原告らは、被告国に対し、軍属国家契約の債務不履行に基づく損害賠償請求として、原告林永昌については五〇〇〇万円、その余の原告らについては、各五〇〇万円の支払を求める。

3  憲法に基づく国家補償請求

(一) 憲法二九条三項、一三条は、国の行為ないし活動によって特別の犠牲を被った者に対し、国がその損失を補償すべき義務を負う旨を定めている。そして、憲法二九条三項は、財産的負担を伴う場合だけでなく、身体の侵害、身体の自由の制限による被害にも準用され、同条項を根拠として直接に国家補償請求権を行使し得る。

(二) 本件元軍属らのBC級戦犯としての刑死・拘禁の犠牲は、同人らが「大東亜戦争」という国の国策遂行のため、陸軍に徴用され、軍属として軍規範と上官の命に従い、生命を賭して軍務に服したところ、連合国軍事裁判により「国の平和の回復と独立」のために負担することとなったものであり、日本国の責任を日本国に代わって負担させられたものであるから、憲法二九条三項に定める公共のための特別の犠牲である。すなわち、BC級戦犯刑死・拘禁は、戦争行為ではなくして、日本国のポツダム宣言受諾によって実行され、日本国は、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約第五号。いわゆるサン・フランシスコ平和条約。以下「サン・フランシスコ平和条約」という。)一一条にてその執行を受諾し、平和条約第一一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二七年法律第一〇三号)を制定したものである。

そして、日本国憲法施行後の犠牲について同憲法が適用されることはもとより、ポツダム宣言受諾後、日本国憲法施行前の犠牲についても、同憲法が適用されるものと解すべきである。なぜなら、ポツダム宣言受諾により、明治憲法の根本法理は重要な変革を遂げ、日本国憲法施行前であっても、同憲法二九条三項に体現される変革後の法理が日本国の憲法の不文法源となり憲法的条理として適用され、成文憲法の空白を埋める補充的役割を果たしていたものと解されるし、ポツダム宣言受諾後の犠牲でありながら、たまたま日本国憲法の施行前か後かで、同憲法の適用の有無が分かれるのは、法と正義のみならず、憲法一四条の平等原則にも反するからである。

(三) 日本政府は、戦後、諸法を立法して、内地出身の軍人軍属らに対して、次のような補償と援護を履行している。

まず、日本政府は、戦犯刑死者について、国のための特別の犠牲を被った者であるとして、公務死(国のための公務上の死亡)とみなし、軍人には、恩給法による遺族年金を支給し、軍属には戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号。以下「戦傷病者援護法」という。)による補償、援護をしている。また、日本政府は、戦犯拘禁者について、国のための特別の犠牲を被った者であるとして、拘禁一か月を公務二か月とみなし、恩給支給の算定上、公務期間の加算を法定している(昭和二八年改正の恩給法(昭和二八年法律第一五五号)附則二四条の三)。さらに、日本政府は、未帰還者留守家族等援護法(昭和二八年法律第一六一号。以下「留守家族援護法」という。)、引揚者給付金等支給法(昭和三二年法律第一〇九号)、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律(昭和四二年法律第一一四号)等を制定して、日本国籍を有する戦犯拘禁者らに対して、相当の給付金を支給している。加えて、日本政府は、戦後強制抑留者に対して、国のための特別の犠牲を被った者であるとして、平和祈念事業特別基金等に関する法律(昭和六三年法律第六六号)により慰労金を給付している。

(四) 日本国は、明治二八年(一八九五年)に台湾を、明治四三年(一九一〇年)に朝鮮を各併合し、その領域の人民は、日本国民となった。本件元軍属らは、日本国民として出生し、日本国民として軍務に服し、日本国民として戦犯刑死・拘禁されたものであって、内地出身の者らと法律上の地位において何ら相違するところはない。それにもかかわらず、日本政府は、同じ日本国民として従軍した朝鮮、台湾など外地出身者に対しては、戦後、法務府民事局長通達「平和条約の発効に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍について」(昭和二七年四月一九日)により日本国籍を失わせると共に、内地出身の軍人軍属らに対する補償及び援護を規定した法律の対象から除外した。

しかしながら、今日の日本国の平和と国力の発展は、今次の大戦の莫大な国民の犠牲が礎石になったものであるが、この犠牲の中には、日本国のために生命を賭して戦った多数の朝鮮、台湾出身の若人達の甚大な犠牲があったことを決して忘れることはできない。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどどこの国においても、自国の軍務に服し、自国のために戦い、犠牲を負った軍人軍属らに対しては、戦後、国籍や領土が変わるなどしても、自国民も植民地出身者も差別なく、年金、傷病手当等の補償を行っている。なぜならば、右補償は、自国のために誠実に履行された軍務の提供、それに伴う犠牲に対するものであって、国籍に対してするものではないからである。

そうとすれば、日本政府は、本件元軍属らに対して、少なくとも内地出身の者らに対して履行している内容と同等の補償及び援護を履行するのが相当である。

(五) よって、原告らは、被告国に対し、憲法二九条三項、一三条又は憲法的条理に基づく国家補償請求として、原告林永昌については五〇〇〇万円、その余の原告らについては、各五〇〇万円の支払を求める。

4  条理に基づく請求

本件元軍属らが被った損失は、本件元軍属らが日本国の戦争責任を日本国に代わって負担したものであり、被告国は、軍属国家契約において、生じた犠牲に対する補償については、内外一体、一切の区別をしないことを保証したのであるから、日本国民に対して補償しているのと同等に、原告らに対しても補償を履行するのが、国の根本法たる条理の要請するところである。日本政府が保証した右責任は、敗戦や一政府の政策によって不履行にしてはならず、これを不履行にすることは、日本国が国家であることを捨てることである。国家の信は連続でなければならない。

よって、原告らは、被告国に対し、条理に基づき、原告林永昌については五〇〇〇万円、その余の原告らについては、各五〇〇万円の支払を求める。

5  軍属国家契約に基づく未払給与請求

(一) 原告崔聖欽は、被告国に対し、前記軍属国家契約に基づき、軍属として服務したことの対価として、次のとおり、合計五万六九一〇円の未払給与請求権(以下「本件未払給与請求権」という。)を有している。

(1) 軍務(奉公中)一五か月分の給与未払金 五万三五〇〇円

(2) 南発券 三四一〇円

日本政府は、台湾の軍人の未払給与支払債務について、請求があれば、現在は、一二〇倍をもって支払うとしている。現在に至るまでの約五〇年間の物価、給与等の上昇から考えると、一二〇倍は著しく少額であり、十分なものとはいえないが、額面どおりの支払に比較すれば、いくばくか世界のコモンロー、条理にかなうものである。そして、右の法理は、日本国の未払給与債務であれば、台湾はもとより、大韓民国(以下「韓国」という。)及びその他の第三国でも、同様に妥当するものである。右によれば、本件未払給与請求権は、当時の金額の一二〇倍である六八二万九二〇〇円となる。したがって、原告崔聖欽は、被告国に対し、本件未払給与請求権の一部請求(本来、一二〇倍でも不相当に低額であるため)として、六八二万九二〇〇円の支払を求める。

(二) 日韓協定及び措置法について(後記被告国の主張に対する反論)

「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年一二月一八日条約第二七号。以下「日韓協定」という。)二条三項は、国際法上、日本政府と韓国政府がそれぞれ自国民の相手国に対する請求権について、国際法上、国家に認められる外交保護権を主張できなくなったという法的効果を生ぜしめるに止まるものであって、自国民各個人の相手国に対する私的請求権を消滅させるものではない。これは国際法上の法常識であるし、日本政府の公式見解でもある。

仮に、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(昭和四〇年法律第一四四号。以下「措置法」という。)の効力が、後記の被告国の主張のとおり、自国民各個人の相手国に対する私的請求権を消滅させるものであるとするならば、同法は、憲法二九条三項、九八条に違反し、違憲無効である。すなわち、憲法上保障される人権は、個人の尊厳に基づく生来的・前国家的権利であるから、権利の性質上日本国民のみを対象としているものと解されるものを除いて、外国人に対してもその保障が及ぶものと解すべきところ、原告崔聖欽は、生来的にも、軍属として服務していた期間中も、日本国籍を有しており、サン・フランシスコ平和条約により、強制的に日本国籍を喪失させられた者であるし、原告崔聖欽の請求する本件未払給与請求権は、日本国に対し、日本国民として、また、軍属として服務した労務の対価として取得した債権であるから、かかる財産権の保障ついては、日本人と同程度の保障を及ぼすべきである。しかるに、右財産権を相当の補償を行うことなく一切消滅させる効果をもたらす法律は、憲法二九条三項に反するものである。また、右のような効果をもたらす法律は、日韓協定が相互に外交保護権の不行使を約束するものであるという国際法上の効力に反する条約違反の立法であるから、憲法九八条にも反する。

さらに、本件未払給与請求権は、昭和二〇年八月から昭和二一年一〇月までの間の未払給与の支払請求権であるところ、本件元軍属らは、少なくとも昭和二一年一〇月一三日まで日本国民たる陸軍軍属であった者であるから、右給与請求権は、日韓協定二条で解決されることになる「財産、権利及び利益」の対象外である。

加えて、日韓協定二条二項(b)は、昭和二〇年八月一五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締結国の管轄の下に入ったものに影響を及ぼすものではない旨規定しているところ、本件未払給与請求権は、昭和二〇年八月以後におけるもので、被告国と原告崔聖欽との通常の接触の過程において取得されたものであるから、日韓協定、措置法によって影響を受けるものではない。

6  公式陳謝請求

本件元軍属らは、日本国民として、日本国の最高の国策遂行のため従軍せしめられ、陸軍規範に基づき上官の命に従わされ、生命を賭して軍務に服せしめられた。そして、日本国は戦いに敗れ、ポツダム宣言を受諾し、その結果、本件元軍属らは処刑・拘禁され、日本国の責任を日本国に代わって負わされるという日本国民としての特別の犠牲を負担させられた。しかるに、日本政府は、このような本件元軍属らを、弊履のごとく見捨て、放置して今日に至っている。

本件元軍属らの被った犠牲はもはや回復できるものではないが、被告国は、日本国の法と信義を国の名誉と尊厳において顕現するべく、原告らに対し、せめて礼を尽くして公式に陳謝すべきである。

よって、原告らは、被告国に対し、軍属国家契約の債務不履行、憲法二九条三項、一三条、憲法的条理又は条理に基づき、本件元軍属らが先の大戦のBC級戦犯として、日本国の戦争責任を日本国に代わって負担させられ、かつ、戦後、日本国が右者らを放置したことに対し、公式に陳謝することを求める。

7  公務死であることの確認請求

戦傷病者援護法の一部を改正する法律(昭和二八年法律第一八一号。以下「戦傷病者援護法改正法」という。)附則二〇項は、サン・フランシスコ平和条約一一条に掲げる裁判により拘禁された者が当該拘禁中に死亡した場合で、かつ、厚生大臣が当該死亡を公務上の負傷又は疾病による死亡と同視することを相当と認めたときは、その者の遺族に遺族年金及び弔慰金を支給する旨規定している。

よって、原告林永昌は、被告国に対し、林永俊が同項に規定するサン・フランシスコ平和条約一一条に掲げる裁判により刑死した者で、厚生大臣が当該死亡を公務上の死亡と同視することを相当と認める者であることの確認を求める。

8  立法不作為違法確認請求

前記のように、本件元軍属らは、日本国民と同じ犠牲を被ったにもかかわらず、被告国は、内地出身の日本国民に対してのみ、諸法を立法して補償、援護をし、同じ日本国民として従軍した朝鮮、台湾など外地出身者らに対しては、外国人であるからといって放置している。しかしながら、本件元軍属らがかつて日本国民となったのも、その後に外国人となったのも、同人らが選択したことではなく、日本国が一方的にしたことである。本来であれば、先に本件元軍属らの補償をし、しかる後に日本国民に対する補償を行うのが真の道義である。被告国は、本件元軍属らに対し、少なくとも日本国民と同等かそれ以上の補償をしなければならない。

よって、原告らは、被告国に対し、本件元軍属らが、先の大戦のBC級戦犯として、日本国の戦争責任を日本国に代わって負担させられたことにより被った日本国の公務(犠牲)について、被告国が国家補償立法を制定しないことは違法であることの確認を求める。

二  被告国の本案前の主張

1  請求の趣旨1について

(一) 原告らの請求の趣旨1の請求に係る訴えが民事訴訟法(以下「民訴法」という。)上の請求であるのか、あるいは行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)上の請求であるのかは必ずしも明らかではないが、そのいずれであるにせよ、次に述べるとおり、右訴えは不適法であり、却下を免れない。

(二) 原告らが、請求の趣旨1に係る訴えを民事訴訟として提起しているとすれば、これは、訴訟上の請求として特定を欠き、不適法である。

すなわち、原告らの請求の趣旨1に係る訴えが民事訴訟として提起されているとすれば、右訴えは、給付訴訟の一種であると思われるところ、給付訴訟は、強制執行による給付の実現を予定しているから、判決主文に対応する請求の趣旨は、それ自体として強制執行が可能な程度に一義的に特定されている必要がある(民訴法一三三条二項)。しかるに、請求の趣旨1は、被告国のどのような機関において、どのような方法で、どのような内容の「公式に陳謝」をすることを請求しているのかについて、何ら特定されていないため、強制執行の場面で執行方法等をめぐり紛争が再燃することは必至であるから、これを適法とすることは、民事訴訟における紛争解決の一回性の理念にも反し、相当でない。

(三) 原告らが、請求の趣旨1に係る訴えを行訴法上の訴えとして提起しているとすれば、これは、同法上許容されないことの明らかな義務付け訴訟であり、不適法である。

すなわち、このような義務付け訴訟が抗告訴訟として認められるかどうか、また、いかなる場合にそれが認められるかについては、後述のとおり、議論の存するところであるが、仮にこれを肯定すべき場合が存し得るとしても、そのためには、「少なくとも法令の解釈上、行政庁が特定個人に対する関係において、その者の利益のために一定の処分をすべき義務が一義的に定められていると解されることが必須の前提をなすものと解される。」

(東京地裁昭和五二年九月二八日判決参照)。

しかるに、原告らは、被告国のいかなる機関が、いかなる法令の根拠に基づき、または、当該法令の解釈上、原告らに対し、原告らの利益のために「公式に陳謝」をするかついて、何ら明らかにしておらず、しかも、被告国の機関が、原告らの利益のためにそのような行政上の行為をすべきことを義務付けている法令上の根拠は何ら存在しない。

2  請求の趣旨5及び6について

(一) 原告らの請求の趣旨5及び6の請求に係る訴えが民訴法上の請求であるのか、あるいは行訴法上の請求であるのかは必ずしも明らかではないが、そのいずれであるにせよ、次に述べるとおり、右各訴えは不適法であり、却下を免れない。

(二) 原告らが右各訴えを民事訴訟として提起しているとすれば、これは、確認訴訟の対象となり得ない事項の確認を求めるものであり、いずれも不適法である。

元来、民事訴訟は、私法上の具体的紛争(民事紛争)の解決を目的とするものであり、確認訴訟は、当事者間に争いのある事項につき裁判所が公権的にその存否を判断することによって紛争の解決を図るものであるから、その対象となるのは、私法上の具体的権利又は法律関係の存否に限られる。ところが、原告林永昌は、戦傷病者援護法改正法附則二〇項により、厚生大臣が林永俊の死亡が公務上の死亡と同視することを相当と認める者であることの確認を被告国に対して求めるものであり、また、原告らは、被告国が立法という公法上の行為をしないことの違法確認を求めるものであるが、そもそも民事訴訟としてそのような公法上の行為を対象とすることはできない。しかも、本件において、戦傷病者援護法改正法附則二〇項により厚生大臣が林永俊の死亡について公務上の死亡と同視することを相当と認める者であること及び被告国が補償立法を制定しない不作為が違法であることが判決主文において確認されたとしても、当該判決は原告らの私法上の権利義務に何らの影響を及ぼすものではなく、民事紛争を解決するものではない。

(三) 原告らが請求の趣旨5及び6の訴えを行訴法上の訴えとして提起しているとすれば、これは、同法上許容されないことが明らかであり、不適法である。

(1) 請求の趣旨5に係る訴えは、戦傷病者援護法改正法附則二〇項により厚生大臣が林永俊の死亡について公務上の死亡と同視することを相当と認める者であることの確認を求めるものであるが、その実質は、裁判所が厚生大臣に代わって戦傷病者援護法の援護を受ける権利の裁定をなすことを求めるもの、ないしは厚生大臣に対して何らかの処分を行う義務を課することを求めるものであると解され、いわゆる無名抗告訴訟の一類型である義務付け訴訟であると解するほかない。

ところで、裁判所が行政庁あるいは立法府に対して一定内容の作為義務のあることを確認的に宣言し、その義務の履行を法的に求めることは、行政庁ないし立法府の第一次的判断権を奪い、日本国憲法の基盤をなす三権分立の原則に抵触する恐れがあることから、義務付け訴訟は、同じく無名抗告訴訟の一類型である作為義務確認訴訟と同様に、少なくとも<1> 行政庁ないし立法府において一定内容の作為をすべきことが法律上二義を許さないほどに特定していて、行政庁ないし立法府の第一次的判断権を重視する必要がない程度に明白であること、<2> 事前の司法審査によらなければ回復し難い損害を生じるという緊急の必要がある場合であること、<3> 他に適切な救済方法がないこと等の各要件が充たされている場合に限って許されると解すべきである。

これを本件についてみると、戦傷病者援護法に基づく援護を受ける権利の裁定は、援護を受けようとする者の請求に基づいて厚生大臣が行うものであり(同法六条)、右請求に基づいてなされた厚生大臣の裁定等の行政処分に不服のある者は、異議申立てをすることができる(同法四〇条、行政不服審査法六条)。また、厚生大臣の裁定等の行政処分の取消しの訴えは、当該処分についての異議申立て又は審査請求に対する決定又は採決を経た後でなければ提起できないと定められている(戦傷病者援護法四二条の二)。

右の規定からすると、戦傷病者援護法は、同法に基づく援護を受ける権利の有無及びその内容を確定するについては、その認定に当たっての専門性、技術性等に鑑み、まず第一次的に行政庁たる厚生大臣の裁定に委ね、右裁定に不服がある場合に、異議申立て等の行政不服審査手続を経た後初めて、裁判所に厚生大臣の裁定等の行政処分の取消しの訴えを提起できるものとしていると解される。

しかるに、本件訴えは、裁判所が行政庁の判断を先取りし、実質的に行政庁に代わって援護を受ける権利の裁定をなすことを求めるものといえるから、このような訴訟は、戦傷病者援護法の定める右請求手続、不服申立て方法である異議申立て及び抗告訴訟の制度の趣旨を没却し、行政庁の第一次的判断権を侵害するものであり、前記<1>の要件を欠き、不適法である。

(2) また、請求の趣旨6に係る訴えは、被告国が補償立法を制定しないことの違法確認を求めるものであるが、補償立法の定立行為は、国会が専らその権能と政治的責任においてなすべき公法上の行為である(憲法四一条、四三条、四五条、五四条一項、五九条)。国会における立法の不作為を違法というためには、国会に当該立法をなすべき作為義務が存することを当然の前提とすることになるから、原告らの右訴えは、その実質において国会における立法の作為義務違反の確認を求めるものというべきであり、行訴法に規定された抗告訴訟の類型には該当しないから、いわゆる無名抗告訴訟の一類型である作為義務確認訴訟と解するほかない。そして、作為義務確認訴訟も義務付け訴訟と同様に、少なくとも前記の三要件が充たされる場合に限って許容されると解すべきである。

ところで、先の世界大戦において多くの国の人々が人的、物的に様々な損失を被ったことは公知の事実であり、本件において原告らが主張する損失もまた、かかる戦争犠牲ないし戦争損害の一種であって、これに対する補償は、大日本帝国憲法の下における損失補償制度はもちろん、日本国憲法二九条三項も全く予想していないところである。したがって、日本政府が右戦争犠牲ないし戦争損害について補償するか否か、あるいはこれらの犠牲・損害のうち、いかなる範囲の人々のいかなる範囲の犠牲・損害にいかなる内容・程度の補償を与えるかは、ひとえに立法政策の問題に委ねられているというべきである。日本政府は、かかる補償をするとすれば、右戦争犠牲ないし戦争損害に対しては、国民感情、外交環境、社会・経済・財政事情等諸般の事情を考慮して策定されるべき立法を待って、その保有する資産、すなわち主として現に我が国に存住する人々により、課税その他の方法で負担される限られた財源の中から、一定の金員を一定範囲の人々の一定範囲の犠牲・損害の補填に充てることとなるが、立法に際しての右の判断は優れて政治的なものであり、そのような立法を待たずに補償の要否、補償内容となるべき受給範囲、支給金額、支給時期及び支給方法等が実定法上一義的に定められているなどということは到底あり得ないことである。

したがって、本件訴えは、前記<1>の要件を欠き、不適法である。

(四) さらに、請求の趣旨5及び6の請求に係る訴えは、行訴法の適用を受ける無名抗告訴訟の一類型であるから、当該訴訟の被告は、権利義務の帰属主体たる国ではなく、その公法上の行為を行う国家機関、すなわち、請求の趣旨5に係る訴えについては、厚生大臣、同6に係る訴えについては、法案の提出については内閣(憲法六五条、七二条)、立法行為ついては国会あるいは衆議院及び参議院(同法四一条、四二条、五九条)でなければならない(行訴法三八条一項、一一条一項)。

したがって、国を被告とする右各請求は、被告適格のない者を被告とするものであり、この点においても不適法である。

三  被告国の本案の主張(請求原因に対する認否及び主張)

1  原告ら各自の事実関係等について

(一) 林永俊が大正一一年(一九二二年)一二月一四日に出生したこと、昭和一七年(一九四二年)六月に釜山臨時教育隊に編入され、同年一〇月からタイ俘虜収容所において俘虜監視員として勤務していたこと、昭和二二年(一九四七年)七月一八日、シンガポールにおいて処刑され、死亡したことは認め、その余の事実は不知。なお、林永俊が配属されたのは、タイ俘虜収容所第一分所である。

(二) 原告李義度が大正九年(一九二〇年)一〇月二〇日に出生したこと、傭人たる軍属として採用されたこと、昭和一七年(一九四二年)六月に釜山臨時教育隊に編入されたこと、その後、マレー俘虜収容所において俘虜監視員として勤務したこと、メダンの軍事法廷において五年の実刑判決を受け、昭和二五年三月一七日に満期釈放されるまで拘禁されていたことは認め、その余の事実は不知。

(三) 丁永太が大正一一年(一九二二年)一〇月五日に出生したこと、傭人たる軍属として採用されたこと、昭和一七年(一九四二年)六月に釜山臨時教育隊に編入されたこと、その後、マレー俘虜収容所において俘虜監視員として勤務したことは認め、その余の事実は不知。

(四) 原告申明休が大正一一年(一九二二年)二月一八日に出生したこと、傭人たる軍属として採用されたこと、バタビアの軍事法廷において五年の実刑判決を受け、昭和二五年三月三日に満期釈放されるまで拘禁されていたことは認め、その余の事実は不知。

(五) その余の本件元軍属らに関する事実は、資料がなく、認否できない。

2  軍属国家契約に基づく請求について

原告らは、本件元軍属らと被告国との間で、昭和一七年(一九四二年)六月ころ、期間二年の約定で本件元軍属らをいずれも陸軍軍属とする旨の軍属国家契約なる契約が成立したことを前提として、被告国の債務不履行責任を主張する。

まず、原告らが主張する軍属国家契約がいかなるものであるか明らかでないが、この点をさておくとしても、そもそも「軍属」とは、陸・海軍文官及び同待遇者、宣誓して陸・海軍に勤務する雇員及び傭人という身分にある者の総称であり、軍属の任用に関する規定としては、文官については「文官任用令」(明治三二年三月二七日勅令第六一号)、雇員・傭人については「陸軍徴用規則」(昭和一九年三月二三日陸達第二〇号)、「陸軍徴用工員規則」(昭和一六年五月一七日陸達第三三号)、「陸軍工務規程」(昭和一二年六月二日陸軍省令第一四号)、「雇員傭人規則」(昭和一八年六月一五日達第一四六号)などがあるが、これらの各規定中には、軍属の採用期間を二年とし、あるいはこれを二年と定めるべきことを義務付けたものは存在しない。

のみならず、次のような事情に鑑みると、本件元軍属らと被告国との間には、債務不履行責任の前提となる契約関係が存在しなかったものと推認することができる。

すなわち、国家総動員法(昭和一三年法律第五五号)は、昭和一三年五月から朝鮮においても施行され(「国家総動員法ヲ朝鮮、台湾及樺太ニ施行スルノ件」(昭和一三年五月三日勅令第三一六号))、同法四条の規定に基づく国民の徴用に関し、国民徴用令(昭和一四年七月七日勅令第四五一号)が昭和一四年七月に施行された(ただし、朝鮮においては、同年一〇月施行。)。朝鮮においては、その全面的発動は避けられていたが、昭和一六年には、軍要員関係に適用し、昭和一九年二月に至り、朝鮮内の重要工場、事業場の現員徴用を行い、同年九月以降、朝鮮から内地へ送り出される労務者にも、一般徴用が実施された。そうすると、本件元軍属らが動員されたのは、その主張によれば、いずれも昭和一七年六月であるから、本件元軍属らの動員は、国家総動員法四条、国民徴用令五条に基づく徴用であった可能性がある。徴用とは、国家の権力に基づき、行政機関が特定人に対し、戦争遂行の目的に必要な各種の業務に従事せしむるために、一方的に公法上の勤務義務を命ずる行政処分であるから、仮に、本件元軍属らがその主張のように軍属として俘虜監視の労務に従事していたとしても、これは、公法上の法律関係に基づくことになる。

そして、被告国が本件元軍属らとの間において、「留守家族のことは、被告国の責任において一切憂いのないよう万全を期す」、「陸軍軍属として・・・軍務において、待遇において、万が一生じた犠牲に対する補償において、後顧の万全において、内外一体、一切の区別をしないことを国家保証」することを内容とする契約を締結したことはないから、原告らの軍属国家契約に基づく請求は失当である。

3  憲法一三条に基づく補償請求について

憲法一三条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が「立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」旨規定するが、他方、これらの権利も「公共の福祉」という限界があることを規定しているものであって、原告らの主張するように、生命・身体の侵害に対する補償請求権の発生根拠となるものではない。よって、原告らの主張は、失当である。

4  憲法二九条三項等による補償請求について

原告らは、BC級戦犯としての刑死・拘禁は、日本国のための特別の犠牲であるから、憲法施行前においては、憲法二九条三項の法理が憲法的条理として、憲法施行後においては、同条項の適用により、被告国は損失補償をすべき旨主張するようである。

しかしながら、そもそも日本国憲法は、昭和二一年一一月三日に公布され、その施行を公布の日から起算して六か月を経過した日からと定め(同法一〇〇条)、昭和二二年五月三日から施行されたものであり、同法上遡及効を認めた規定はないから、原告らが被ったとする本件損失の原因をなす被告国の行為当時の憲法は明治憲法であって、本件に日本国憲法二九条三項の規定を適用(ないし類推適用)する余地が全くないことはもちろん、その解釈を日本国憲法と法的性格を異にする明治憲法の下での実定法の解釈の手掛りにすることはできないというべきであるから、右解釈を補償請求の根拠とすることはできない。

また、本件において原告らが主張する損失は、戦争犠牲ないし戦争損害の一種であって、これに対する補償は、大日本帝国憲法の下における損失補償制度はもちろん、日本国憲法二九条三項も全く予想していないところであるため、同条項の適用の余地がないことは、前記のとおりである。

よって、原告らの右主張は、失当である。

5  条理に基づく請求について

原告らの条理に基づく請求は、条理に基づいていかなる請求権が発生するのか、その法的根拠が全く明らかではないから、主張自体失当というべきである。

仮に、原告らが条理に基づいて損失補償を請求しているものとしても、そもそも条理とは、「一般社会の正義の観念に基づいて、かくあるべきものと信じられ、承認されているものをいう。事物の筋道・道理・合理性などと同じ意味である。」と定義されているが(杉村章三郎・山内一夫編「行政法辞典」三七二頁)、その事柄の抽象性ゆえに、仮に、その裁判規範として法源性を認めるとしても、それが憲法等成文法法理の中に化体している場合を除いては、損失補償請求の根拠とすることは困難というべきである。したがって、原告らの主張は、失当である。

6  軍属国家契約に基づく未払給与請求について

(一) 未払給与請求権の措置法による消滅

原告崔聖欽の本件未払給与請求権が、仮に弁済によって消滅していないとしても、当該請求権は、日韓協定二条及び措置法一項の規定により消滅している。

すなわち、韓国国民の財産及び請求権については、サン・フランシスコ平和条約四条(a)で、日本国と同条約二条に掲げる地域(いわゆる分離独立地域)の施策を行っている当局である韓国との間の「特別取極」の対象とされ、日本国と韓国との間での交渉の末、日韓協定が締結された。日韓協定二条三項は、「一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置」に関して、いかなる主張もすることができないことを規定している。日韓協定二条三項は、<1> 日韓両国それぞれの国内措置について、外交保護権を行使しないということと、<2> 「財産、権利及び利益」を含むすべての請求権について、外交保護権を行使しないという意味と解される。右<1>は、一方の締約国及びその国民の実体的権利であって、この協定の署名の日に他方の国の管轄の下にあるものに対して執られる措置については、それぞれの国は、今後いかなる主張もなし得ないという意味である。つまり、日韓協定の対象になっているこれらの実体的権利について、具体的にいかなる国内的措置を執るかということは、当該締約国の決定に委ねられることになったわけである。

そこで、我が国においては、日韓協定二条三項にいう「措置」として、韓国及びその国民の実体的権利をどのように処理するかについて、国内法として措置法が制定され、同法において、韓国及び同国民の財産権であって、日韓協定二条三項にいう「財産、権利及び利益」に該当するものについては、昭和四〇年六月二二日において原則的に消滅したものとされた(同法一項)。このような解釈は、日本政府の公式見解と何ら反するものではない。

しかるに、韓国在住の原告崔聖欽が主張する本件未払給与請求権は、右措置法に規定された「財産、権利及び利益」に該当するものである。すなわち、措置法により消滅した「財産、権利及び利益」に該当する主な財産権は、一応の所管各省庁ごとに分類されており、厚生省の所管するものとしては、留守家族援護法等による旧軍人軍属に対する未払給与金が挙げられているところであるが、元軍属である原告崔聖欽の給与請求権は、未復員者給与法(昭和二二年一二月一五日法律第一八二号)、同法が廃止された後の新法である留守家族援護法による未払給与に該当するものである。したがって、右給与請求権は、仮に弁済によって消滅していないとしても、措置法の対象財産権として、昭和四〇年六月二二日において消滅しているものである。

(二) 措置法の合憲性について

日韓協定の締結及び措置法の制定の経過は次のとおりである。すなわち、我が国は、連合国との間において、戦争状態を終了させ、戦争によって生じた問題を解決するためサン・フランシスコ平和条約を締結した。同条約四条(a)において、韓国国民の財産及び請求権が、日本国と同条約二条に掲げる地域(いわゆる分離独立地域)の施策を行っている当局である韓国との間の「特別取極」の対象とされたことを受け、日本国と韓国との間で交渉を開始したが、請求権の法的根拠についての理解の対立、証拠資料の散逸等の問題から個々の問題の積み上げ方式による解決が不可能であることが判明した。しかし、請求権問題のために日韓両国間の友好関係の確立をいつまでも遅らせることは大局的見地から見て適当でなく、また、将来における両国間の友好関係の発展という見地からも、この際、韓国の民生の安定、経済の発展に貢献することを目的として、我が国の財政事情や韓国の経済開発計画のための資金の必要性をも勘案した上、我が国が韓国に対し、三億ドルの無償供与、二億ドルの長期低利の貸付けの供与を行うこととし、これと並行して請求権問題を完全かつ最終的に解決することとし、日韓協定が締結されたのである。そして、同協定二条三項において、具体的にいかなる国内的措置を採るかは当該締約国の決定に委ねられた。そこで、我が国では、措置法を制定し、日韓協定二条三項に該当する韓国及び同国国民の財産、権利及び利益を消滅させることとしたのである。

このように、措置法の制定は、サン・フランシスコ平和条約という日本国の存亡に関する重要な条約において規定された朝鮮の分離独立に伴う財産及び請求権の処理に他ならず、日韓両国の国交正常化と友好関係の確立という極めて高度の外交的政治的判断において締結された日韓協定に基づいて行われたものであるところ、憲法二九条三項は、このような戦後処理について想定しているとは考えられず、このような一種の戦争損害は、他の種々の戦争損害と同様、多かれ少なかれ、国民の等しく耐え忍ばなければならないやむを得ない犠牲なのであって、その補償のごときは、憲法の予想しない事態というほかなく、憲法違反の問題が生ずる余地はない(最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決・民集二二巻一二号二八〇八頁参照)。

実質的に見ても、日韓協定の下における国内処理として我が国が韓国国民の財産等について、これを消滅させる等の不利益な措置を採る場合に、これに補償をしなければならないとすれば、そのような財産等についての日韓両国の従来の紛争における韓国側の主張を我が国が一方的に承認させられたのと実質上異ならないことになるのであって、同協定の方式を採用した両国の意図が達成されないことになるといわなければならない。

したがって、韓国国民の財産権の消滅を定めた措置法は、何ら憲法に違反するものではない(最高裁昭和五一年三月二三日第三小法廷判決・裁判集民事一一七号二六七頁参照)。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一前提となる事実

原告らの本訴請求は、要するに、今次の大戦において、我が国に陸軍軍属として採用され、俘虜監視員の任務に服したため、戦後連合国によって、戦犯として刑を受けたり、あるいは戦犯容疑で拘禁されたりした朝鮮半島出身の者及びその遺族が日本国籍を失ったが故に我が国から何らの補償をされることもなく、今日まで放置されてきたということを前提にするものであるから、まずその前提となる事実関係を見てみることとする。

一  原告ら

1  原告林永昌

林永俊が大正一一年一二月一四日に出生したこと、昭和一七年六月に釜山臨時教育隊に編入され、同年一〇月からタイ俘虜収容所において俘虜監視員として勤務していたこと、昭和二二年七月一八日、シンガポールにおいて処刑され、死亡したことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実、<証拠略>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 林永俊は、朝鮮で出生し、昭和一七年六月、二一歳のときに、期間を二年として、傭人たる軍属として採用され、釜山の臨時教育隊(野口部隊)に編入されて、約二か月間、訓練を受けた後、同年一〇月から昭和二〇年八月までタイ俘虜収容所第一分所において俘虜監視員として勤務した。その後、BC級戦犯容疑者として、シンガポールのチャンギ刑務所に拘禁され、昭和二二年七月一八日、シンガポールにおいて捕虜虐待罪で絞首刑に処され、死亡した。

(二) 昭和五七年末、韓国・朝鮮人元BC級戦犯者及び刑死者遺族を構成員とし、日本政府に対して長期拘禁・刑死による損失の補償を要求することを主な目的とする同進会から、家族に対し、林永俊の遺骨を引き取るよう連絡があり、家族は、同進会会員から、遺骨と共に、日本政府からの葬礼費として一〇万ウオンと日本国厚生大臣森下元晴名義の弔意文を受け取った。現在、林永俊は、靖國神社に奉られている。

(三) 林永俊は、同人を含めて七人兄弟の三男であり、原告林永昌は、林永俊の弟である。林永俊は、未婚のまま出征したため妻子はなかった。同人の父は、昭和四四年一二月二三日、七四歳で亡くなり、母は、昭和五二年に八二歳で亡くなっている。したがって、韓国民法上、林永俊の財産は、いったん同人の父が相続し、父の死亡によって原告林永昌が他の相続人と共に相続した。

2  原告李義度

原告李義度が大正九年一〇月二〇日に出生したこと、傭人たる軍属として採用されたこと、昭和一七年六月に釜山臨時教育隊に編入されたこと、その後、マレー俘虜収容所において俘虜監視員として勤務したこと、軍事法廷において五年の実刑判決を受け、昭和二五年三月一七日に満期釈放されるまで拘禁されていたことは、いずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実、<証拠略>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告李義度(日本名完山義度)は、朝鮮で出生し、昭和一七年六月、二二歳のときに、期間を二年として、傭人たる軍属として採用され、釜山の臨時教育隊(野口部隊)に編入されて、約二か月間、完全武装での戦闘訓練、捕虜の監視及び防謀に関する教育、精神訓話等の訓練を受けた。右訓練の後、同原告は、マレー俘虜収容所第一分所に配属され、昭和二〇年八月まで俘虜監視の任務に服した。昼間は、捕虜数百名を引率して、山間地帯で作戦道路の工事に従事し、夜間は、完全武装で哨所の警備に当たった。全監視員が昼夜三交代で捕虜の監視を行った。軍属としての報酬は、一か月約一七〇円であった。

(二) 昭和二〇年八月一五日に終戦となり、原告李義度を含む捕虜監視員全員は、昭和二一年春、シンガポールのチャンギ刑務所に拘禁された。約一か月後、同原告は、スマトラ島のメダンに送られ、一年ほど拘禁された後、BC級戦犯容疑者として、同所のブラックキャンプに収容された。そして、三年余り後、同原告は、メダンのオランダ軍事法廷にて、捕虜虐待罪として五年の実刑判決を受け、巣鴨刑務所に移送され、昭和二五年三月一七日に満期釈放されるまで拘禁された。

3  原告李順禮

<証拠略>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 崔元周(日本名松岡秀富)は、大正七年二月八日に朝鮮において出生した。同人は、昭和一七年六月、二四歳のときに、期間を二年として、傭人たる軍属として採用され、釜山の臨時教育隊(野口部隊)に編入され、約二か月間、戦闘訓練、精神教育等の訓練を受けた。

(二) 崔元周は、右訓練の後、タイ俘虜収容所第二分所に配属され、昭和二〇年八月まで俘虜監視の任務に服した。昼間は俘虜を引率し鉄道工事現場にて監督と監視をなし、夜間は哨所警備を行った。

(三) 昭和二〇年八月に終戦を迎えたが、崔元周は、BC級戦犯容疑者として逮捕され、シンガポールのチャンギ刑務所で拘禁され、さらに、タイのバンカン刑務所にて七か月間拘禁された後、嫌疑なしとして釈放され、昭和二一年一〇月中旬帰国した。同人は、昭和二五年一二月に朝鮮戦争で死亡した。

(四) 原告李順禮は、崔元周の妻であり、同人の相続人である。

4  原告崔榮台

<証拠略>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告崔榮台(日本名山田英夫)は、大正一一年五月一七日に朝鮮において出生した。同原告は、昭和一七年六月、二〇歳のときに、期間を二年として、傭人たる軍属として採用され、釜山の臨時教育隊(野口部隊)に編入され、約二か月間、武装訓練、精神教育等の訓練を受けた。

(二) 原告崔榮台は、右訓練の後、タイ俘虜収容所第三分所に配属され、昭和二〇年八月まで俘虜監視の任務に服した。昼間は鉄道建設現場で俘虜を監督監視し、夜間は武装して哨所警備に当った。

(三) 終戦を迎えると同時に、原告崔榮台は、BC級戦犯容疑者として逮捕され、タイのバンカン刑務所に拘禁された後、シンガポールのチャンギ刑務所に移送され、同所にて昭和二二年一二月ころまで拘禁された後、嫌疑なしとして釈放された。

5  原告丁漢秀

丁永太が大正一一年一〇月五日に出生したこと、傭人たる軍属として採用されたこと、昭和一七年六月に釜山臨時教育隊に編入されたこと、その後、マレー俘虜収容所において俘虜監視員として勤務したことは、いずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実、<証拠略>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 丁永太(日本名大山永太)は、朝鮮で出生し、昭和一七年六月、一九歳のときに、期間を二年として、傭人たる軍属として採用され、釜山の臨時教育隊(野口部隊)に編入されて、約二か月間、武装訓練、精神教育等の訓練を受けた。

(二) 丁永太は、右訓練の後、マレー俘虜収容所第二分所に配属され、昭和二〇年八月まで俘虜監視の任務に服した。昼間は俘虜を引率し、労働現場にて監督監視をし、夜間は哨所警備をした。

(三) 丁永太は、終戦と同時に、BC級戦犯容疑者として逮捕され、シンガポールのチャンギ刑務所に昭和二一年一一月ころまで拘禁された後、嫌疑なしとして釈放された。同人は、平成五年七月二六日に死亡した。

(四) 原告丁漢秀は、丁永太の三男であり、同人の相続人である。

6  原告申明休

原告申明休が大正一一年二月一八日に出生したこと、傭人たる軍属として採用されたこと、軍事法廷において五年の実刑判決を受け、昭和二五年に満期釈放されるまで拘禁されていたことは、いずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実、<証拠略>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告申明休(日本名高村明休)は、朝鮮で出生し、昭和一七年六月、二〇歳のときに、期間を二年として、傭人たる軍属として採用され、釜山の臨時教育隊(野口部隊)に編入されて、約二か月間、武装訓練、精神教育等の訓練を受けた。

(二) 同原告は、右訓練の後、ジャカルタのジャワ俘虜収容所に配属され、昭和二〇年八月まで俘虜監視の任務に服した。昼間は俘虜を引率して所外の労働現場で監督監視をし、夜間は哨所の警備に当った。

(三) 同原告は、終戦と同時に、BC級戦犯容疑者として、シンガポールのチャンギ刑務所に拘禁された後、バタビアの軍事法廷にて俘虜虐待罪で五年の実刑判決を受け、昭和二五年三月三日に満期釈放されるまで、ジャカルタのチプナン刑務所に拘禁された。

7  原告崔聖欽

<証拠略>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告崔聖欽(日本名文憲政秀)は、大正九年三月七日に朝鮮において出生した。同原告は、昭和一七年六月、二二歳のときに、期間を二年として、傭人たる軍属として採用され、釜山の臨時教育隊(野口部隊)に編入されて、約二か月間、各種武器使用法、昼夜間戦闘法、歩哨守則、軍人勅諭暗記、精神教育等の訓練を受けた。

(二) 同原告は、右訓練を受けた後、マレー俘虜収容所第二分所に配属され、昭和二〇年八月まで俘虜監視の任務に服した。その間、同原告は、昭和一八年三月には、タイとビルマを繋ぐ泰緬鉄道の建設のため、俘虜八〇〇〇名を同所に引率して、建設作業を監視し、また、昭和一九年三月には、スマトラ島のパレンバンに飛行場を建設するために、俘虜四〇〇〇名を同所に引率して、建設作業を監視していたが、右飛行場建設中の昭和二〇年八月一五日に終戦を迎えることとなった。なお、終戦直前の昭和二〇年八月二日ころ、同原告は、爆撃により右肩を骨折し、右手が不自由な状態となった。

(三) 昭和二〇年一〇月、同原告は、BC級戦犯容疑者として逮捕され、シンガポールのチャンギ刑務所に昭和二一年七月まで約一〇か月間拘禁されたが、最終的に無罪ということで釈放された。

8  原告陸英淑

<証拠略>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 陸永萬は、大正一一年一一月六日に朝鮮において出生したが、昭和一七年六月、一九歳のときに、期間を二年として、傭人たる軍属として採用され、釜山の臨時教育隊(野口部隊)に編入されて、約二か月間、完全武装での戦闘訓練、精神教育等を受けた。

(二) 陸永萬は、右訓練の後、フィリピンのマニラ収容所に配属され、昭和二〇年八月まで俘虜監視の任務に服した。昼間は戸外に動員される俘虜の監視を行い、夜間は哨所勤務をした。

(三) 陸永萬は、終戦と同時に、BC級戦犯容疑者として逮捕され、シンガポールのチャンギ刑務所に拘禁され、俘虜虐待罪で三年の実刑判決を受け、服役した。

(四) 陸永萬は、昭和六〇年九月一六日に死亡したが、原告陸英淑は、陸永萬の長女であり、同人の相続人である。

二  元軍人軍属らに対する我が国の対応等

<証拠略>によれば、右戦争終結後における元軍人軍属及びその遺族の補償状況につき、次の事実が認められる(条約及び法律関係の事実は、当裁判所に顕著な事実である。)。

1  日本国民である軍人軍属等が戦死傷した場合、恩給法(大正一二年法律第四八号)等により恩給、扶助料が支給されていたが、連合国最高司令部(GHQ)の指示に基づき、昭和二一年一月三一日の勅令第六八号により、軍人軍属及びその遺族に対する恩給、扶助料の支給は、一部重度の戦傷病者に対するものを除き停止され、同年の恩給法の改正により廃止された。そして、傷病兵に関する軍事扶助法及び戦災被害者に関する戦時災害保護法も、旧生活保護法(昭和二一年法律第一七号)制定と共に廃止され、社会保障制度一般の中に組み込まれた。

2  昭和二七年四月二八日、戦争状態を終了させ、戦争によって生じた問題を解決するためのサン・フランシスコ平和条約が発効し、その二条(a)において、日本国は朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、同条(b)において、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、四条(a)において、これらの地域(いわゆる分離独立地域)の施政を行っている当局及びそこの住民の日本国及び日本国民に対する請求権の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とするとされた。

3  右平和条約発効後、日韓協定前後にかけて、戦傷病者、戦没者、未帰還及び引揚者に対し、弔慰金や特別給付金を支給する戦傷病者援護法、留守家族援護法及び引揚者給付金等支給法等の法律が制定されたが、これらの法律では、その対象は軍人、軍属、準軍属(国家総動員法による被徴用者、動員学徒等)及びその遺族、家族とされ、また、日本の国籍を失った者や戸籍法の適用を受けない者を除外する条項、いわゆる国籍条項が設けられた。もっとも、原子爆弾の被爆者については、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年三月)及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和四三年五月)が制定されたが、これについては、国籍条項はない。

戦犯受刑者については、当初、受給の対象から除外されていたが、昭和二八年の戦傷病者援護法の改正により、対象に含まれることとなった。また、同年八月一日施行の恩給法改正により元軍人軍属及びその遺族に対する恩給の支給が復活したが、この時点においては、朝鮮半島及び台湾出身者はサン・フランシスコ平和条約により日本の国籍を失っていたため、同法の規定の趣旨に照らし、恩給の支給を受ける資格を有しないこととなった。

4  日本政府は、巣鴨刑務所を出所した朝鮮半島及び台湾出身戦犯者に対し、次の措置を講じた。

(一) 巣鴨刑務所入所中(昭和二八年八月から昭和三二年四月)、その家族(独身者の場合積立て)に対し、盆、暮に各六〇〇〇円を支給した。

(二) 昭和三〇年度及び昭和三一年度に一時居住施設の経費として合計一〇〇〇万円を台湾人出所者の団体である「友和会」及び朝鮮人出所者の団体である「清交会」に交付し、右各団体は各三か所の施設を設けた。また、昭和三〇年度から三二年度にわたり、生業資金として、合計六四五万円を財団法人更生助成会に委託し、一人五万円を限度として期間五年以上、利率年六分の条件で貸付けを行った。

(三) 昭和三二年度予算において、「巣鴨刑務所出所者等援護費補助金」として一三二人分の六六〇万円を計上し、友和会及び清交会を通して一人につき五万円を生活資金として支給した(六人分は帰国等の事情で支給できなかった。)。

(四) 昭和三三年一二月の閣議了解に基づき、一人につき一〇万円ずつ合計一二六〇万円が交付され、昭和三五年七月一三日、生業の確保として、台湾人出所者関係のペンギン自動車株式会社及び朝鮮人出所者関係の同進交通株式会社に対し、一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー事業)の免許が与えられ、また、都道府県知事に対し、第二種公営住宅への入居者の選考に当たっては、巣鴨刑務所出所者を住宅の困窮度が著しく高いものとして優先的に取り扱うよう通牒を出した。

5  韓国・朝鮮人元BC級戦犯者及び刑死者遺族は、昭和三〇年四月一日、刑死者の遺骨送還の要請並びに生活資金の支給、貸与、住宅及び就職の斡旋等のいわゆる一般的な「生活保護」の要請と共に、長期拘禁・刑死による損失の国家補償の要請を主たる目的とする同進会を設立した。同会は、昭和三二年八月一四日より、韓国出身戦犯の刑死者遺族に対し、刑死者一人当たり五〇〇万円、服役戦犯者に対し逮捕日から出所日まで拘禁日数一日当たり五〇〇円の割合による金額の支給を内容とする国家補償の要求を開始し、以後現在に至るまで、昭和五二年九月には補償要求額を刑死者遺族に対し五〇〇〇万円、服役者に対し拘禁一日当たり五〇〇〇円と改め、右要求を繰り返している。日本政府は、右要求に応ずべく努力する旨答えていたが、日韓協定後は、連合国の軍事法廷により刑死に処せられた韓国出身者の遺骨については、外交ルートを通じて誠意をもって遺族の元へ届けるようにしているものの、韓国出身戦犯者に対する補償については、法律上の責任がなく、日韓協定により解決済みであるとして、右要求に応じていない。

6  台湾人元軍人軍属については、昭和二七年四月二八日発効の日本国と中華民国との間の平和条約において、日本国及びその国民に対する中華民国の当局及び台湾住民の請求権の処理は、日本国政府と中華民国との間の特別取極の主題とする旨定められたが、昭和四七年九月二九日の日本国政府と中華人民共和国政府との共同声明により、日本国政府は中華人民共和国政府が唯一の合法政府であることを承認した結果、右特別取極の協議が事実上不可能となったことに鑑み、議員立法により、台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律(昭和六二年九月)及び特定弔慰金等の支給に関する法律(昭和六三年五月)が制定されて、戦没者及び重度の戦傷者に対し弔慰金等が支給されるようになった。

三  以上の事実によれば、原告らは、いずれも我が国の元陸軍軍属として戦時中俘虜収容所において俘虜監視の任務につき、終戦後連合国によって戦犯として刑を受けたり、戦犯容疑で拘禁されたりした朝鮮半島出身の者かその遺族(相続人)であるが、戦後、サン・フランシスコ平和条約発効に伴って日本国籍を失い、韓国国籍となったため、戦傷病者援護法等の国籍条項により、同法等が規定する受給等の対象とはならなかったことが認められる。

第二軍属国家契約に基づく損害賠償請求及び公式陳謝請求について(請求の趣旨1ないし4関係)

一  原告らは、本件元軍属らが陸軍軍属として任務に服した関係をもって、被告国との間に軍属国家契約が成立したとし、右契約において、期間を二年と定めたにもかかわらず、二年で除隊させなかったことをもって被告国の債務不履行があると主張している。

二  原告らの主張する軍属国家契約がいかなる法的性質のものであるかは必ずしも明らかではないが、<証拠略>によれば、陸軍軍属とは、陸軍文官及び同待遇者、宣誓して陸軍に勤務する雇員及び傭人という身分にある者の総称であり、陸軍軍人に準ずる者として、上官の命令に服従することが規定されていたほか、陸軍刑法が適用されたこと(陸軍刑法九条、一四条、五七条)、軍属の任用に関する規定としては、文官については文官任用令、雇員・傭人については陸軍徴用規則、陸軍徴用工員規則、陸軍工務規程、雇員傭人規則などがあったこと、国家総動員法は、昭和一三年五月から朝鮮においても施行され、同法四条の規定に基づく国民の徴用に関し、国民徴用令が昭和一四年七月施行され(ただし、朝鮮においては、同年一〇月に施行された。同令附則)、朝鮮においては、その全面的発動は避けられていたが、昭和一六年には、軍要員関係に適用し、昭和一九年二月に至り、朝鮮内の重要工場、事業場の現員徴用を行い、同年九月以降、朝鮮から内地へ送り出される労務者にも、一般徴用が実施されたこと、陸軍徴用規則は、国民徴用令等による徴用について陸軍において必要な事項を定めたものであるが、国民徴用令一六条、陸軍徴用規則二条等は、徴用機関が期間の変更を含む徴用の変更を命令することができることを規定していたこと、以上の事実を認めることができる。

しかるところ、本件元軍属らが、国家総動員法、国民徴用令、陸軍徴用規則によって徴用されたのか、あるいは、他の規定によって採用されたのかについては、本件全証拠によっても必ずしも明らかではない。国家総動員法、国民徴用令、陸軍徴用規則による徴用だとすると、徴用は、国家の権力に基づき、行政機関が特定人に対し、戦争遂行の目的に必要な各種の業務に従事させるために、一方的に公法上の義務を命じる行政処分であるから、本件元軍属らと被告国との関係は、原告らの主張するような契約関係ではないということになるが、このような徴用ではないとしても、軍属と被告国との関係は、民法上の雇用契約関係とは性格を異にし、特別権力関係等が問題となる公法上の関係であったと解される。

三  次に、前記理由第一で認定したところによれば、本件元軍属らは、いずれも期間を二年として、陸軍軍属として採用されたものであること、本件元軍属らはいずれも二年を超えて任務に服していたことが認められる。

しかしながら、なにゆえ本件元軍属らが二年を超えて任務に服することになったかについては、本件全証拠によっても明らかではない。本件元軍属らが、国民徴用令、陸軍徴用規則によって徴用されたとすれば、徴用の変更を命令されたものと思われるが、そうではないとすると、本件元軍属らが二年を超えて任務に服することにつき異議を述べたなどの事実を認めるに足りる証拠がない以上、本件元軍属らの同意に基づいて期間が延長されたものと推認せざるを得ない。そうであれば、仮に本件元軍属と被告国との関係が雇用関係に類似する公法上の関係であったとしても、採用期間の変更が禁止されるものではないことはもちろん、期間を延長しない約定が本件元軍属らと被告国との間にあったことを認めるに足りる証拠はないから、期間を二年として採用された本件元軍属らが二年を越えて任務に服することになったからといって、直ちに、被告国に債務不履行責任が生ずるものとはいえない。また、本件元軍属らと被告国との間において、原告らの主張のように二年を経過したときは除隊させて帰国させる旨の保証があったことを認めるに足りる証拠はなく、原告らの主張するそのほかの約定があったことを認めるに足りる証拠もない。

四  したがって、被告国の債務不履行を前提とする原告らの損害賠償請求及び公式陳謝請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当といわなければならない。

第三憲法若しくは憲法的条理に基づく補償請求及び公式陳謝請求について(請求の趣旨1ないし4関係)

一  原告らは、本件元軍属らが戦後BC級戦犯として刑を受けたり、戦犯容疑者として拘禁されたりしたのは、大東亜戦争という被告国の国策遂行のため、陸軍軍属として徴用され、軍規範と上官の命に従い、生命を賭して軍務に服したことによるものであり、被告国の平和の回復と独立のために、被告国の責任を代わって負担させられたものであるから、日本国憲法二九条三項の特別の犠牲に当たるとし、少なくとも被告国が日本人の軍人軍属に対して履行している内容と同等の補償、援護を履行すべきであると主張する。

二  そこで、右の主張について、以下検討する。

1  日本国憲法は、昭和二二年五月三日から施行されたものであり、右憲法には遡及効を認めた規定はない。したがって、本件元軍属らを徴用し、俘虜監視の任務にあたらせ、軍事裁判を受けるのを余儀なくさせた被告国の行為がされた当時の憲法は明治憲法であって、本件に日本国憲法二九条三項の規定を適用ないし類推適用する余地はない。日本国憲法一三条についても同様である。

原告らは、明治憲法二七条は、我が国のポツダム宣言の受諾によって、日本国憲法二九条三項に体現される法理のように変革されたか、そうでないとしても、日本国憲法的な条理が適用されるようになったとも主張するが、ポツダム宣言の受諾ということによって当然に、明治憲法が日本国憲法のように変革されたとはいえないし、そのような憲法的条理が適用されるようになったともいえない。

2  のみならず、今次の戦争において、サン・フランシスコ平和条約の発効により日本国籍を喪失した朝鮮半島出身者及び台湾出身者を含む多数の日本国民が、甚大な生命・身体・財産上の損害を被ったことは公知の事実であるが、これらの損害は、多かれ少なかれ国民各層が直接・間接に参加する戦争といういわば国家の存亡にかかわる非常事態において発生した損害であり、戦争犠牲又は戦争損害として国民が等しく受忍しなければならないやむを得ない犠牲であって、このような犠牲に対する補償は、憲法二九条三項の全く予想しないところであるといわざるを得ない(最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決・民集二二巻一二号二八〇八頁、最高裁昭和四四年七月四日第二小法廷判決・民集二三巻八号一三二一頁、最高裁平成四年四月二八日第三小法廷判決・判例時報一四二二号九一頁参照)。

3  本件元軍属らは、陸軍軍属たる俘虜監視員として勤務し、我が国の敗戦後戦争犯罪を犯したとして刑を受けたり、拘禁されたりした当時において、日本国籍を有する日本国民であったことは明らかである。本件元軍属らは、サン・フランシスコ平和条約の発効に伴い、日本の国籍を失うことになったが、本件元軍属らが被った前記生命・身体に関する損失は、日本軍属として俘虜監視任務に従事し、日本の敗戦及びポツダム宣言受諾により、戦争中から日本軍の俘虜処遇を重視していた連合国軍の軍事裁判により、戦犯として個人責任を問われ処罰されたことによるものであり、今次の戦争及び日本の敗戦という事実に基づいて生じた、当時の日本国民が等しく受忍すべき戦争犠牲ないし戦争損害といえるのである。

三  よって、憲法若しくは憲法的条理に基づく原告らの補償請求及び公式陳謝請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

第四条理に基づく補償請求及び公式陳謝請求について(請求の趣旨1ないし4関係)

一  次に、原告らは、本件元軍属らが被った損失は、本件元軍属らが日本国の戦争責任を日本国に代わって負担したものであり、被告国は、軍属国家契約において、生じた犠牲に対する補償については、内外一体、一切の区別をしないことを保証したのであるから、日本国民に対して補償しているのと同等に、原告らに対しても、条理上右損失を補償すべき義務を負っている旨主張する。

確かに、今次の戦争による我が国の国民が被った戦争犠牲ないし戦争損害が甚大なものであったことは公知の事実であるから、戦争犠牲ないし戦争損害に対する補償が現行憲法上全く予想されていないものであるとしても、我が国の国民として戦争犠牲ないし戦争損害を被りながら、自らの意思にかかわりなく我が国の国籍を失った者及びその遺族に対して、我が国が、我が国の国民に対してするような援護措置を講じることが望ましいことはいうまでもなく、原告らの主張も首肯し得ないものではない。

しかしながら、戦争犠牲ないし戦争損害のうちいかなる範囲のものについていかなる救済を行うかということは、国の財政事情、戦争犠牲の内容、他の戦争犠牲者等との均衡、国民感情、国際環境等の諸要素を勘案しつつ、高度の政策的裁量判断によって決すべき立法政策に属する問題であるといわざるを得ない。そして、前記理由第一の二で認定したような戦争犠牲者等に対する我が国の立法を含めた対応の中には、人道的見地若しくは国家補償の精神からされた面があることも否定はできないものの、軍人軍属であった者及びその遺族に対する生活扶助を図る色彩が強いことは明らかであり、このような扶助は当該対象者の属する国の社会保障政策に関わる問題でもある。

戦傷病者援護法、留守家族援護法及び引揚者給付金等支給法など、戦争犠牲者に対する立法が、原爆の被爆者に対する医療及び特別措置に関する法律を除き、いわゆる国籍条項を設け、日韓協定後もこれを廃止することなく、朝鮮半島出身者をその対象から除外したが、後述のサン・フランシスコ平和条約を経て日韓協定に至るまでの経緯に照らせば、朝鮮半島出身者の請求権の問題は、両国政府の外交交渉によって解決されることが予定され、かつ、そのように処理されたことに基づくのであって、このことには合理的根拠があり、合理的理由のない差別を禁止した憲法一四条に違反するものでもない(前掲最高裁平成四年四月二八日判決参照)。

本件元軍属らは、連合国の軍事裁判所により戦争犯罪の責任を問われたものであるが、それは、我が国の陸軍軍属として上官の命令に従って俘虜監視任務に従事した結果なのであるから、我が国の国民たる軍人軍属が被った戦争犠牲ないし戦争損害と同視することができるものの、被告国が、このような者に対し、いかなる措置を講じるべきか、補償をするとしてその給付の範囲、給付額、給付時期及び給付方法等を具体的にどのようにするかは、前述のように、国の財政事情、戦争犠牲の内容、他の戦争犠牲者等との均衡、国民感情、国際環境等の諸要素を勘案しつつ、高度の政策的裁量判断によって決すべき国の立法政策に属する事柄であるといわざるを得ないのであって、かかる立法がない状態で、原告らの主張するように一定額の給付の一括支払を求める態様の補償請求権が条理上当然に導かれるとはいい難い。なお、原告らの主張する軍属国家契約の約定が本件元軍属らと被告国との間にあったことを認めるに足りる証拠がないことは前示のとおりである。

二  したがって、原告らの条理に基づく補償請求及び公式陳謝請求も、その余の点について判断するまでもなく理由がないといわざるを得ない。

第五原告崔聖欽の未払給与請求について(請求の趣旨3関係)

一  原告崔聖欽は、陸軍軍属として勤務した対価として、合計五万六九一〇円(昭和二〇年八月から昭和二一年一〇月までの一五か月分の給与未払金五万三五〇〇円と南発券三四一〇円)の未払給与請求権を有していると主張し、その本人尋問において、原告崔聖欽らの月給は、昭和二〇年七月分までは支払済みであったところ、終戦を迎え、隊長から、同年八月分から帰国するまでの期間の月給は、帰国後、証明書を提示して請求すれば日本政府から支払われる旨の説明を受けて、その証明書(<証拠略>)の交付を受け、さらに、昭和二一年一〇月、帰国のために船に乗船する際、帰国後、日本円にて返還してもらえるとの説明を受けて、南発券三四一〇円をシンガポール日本渉外部に渡し、その証明書(<証拠略>)を受け取った旨供述する。

これに対し、被告国は、仮に、原告崔聖欽が、同原告の主張するような未払給与請求権を有していたとしても、当該請求権は、日韓協定二条及び措置法一項によって消滅したと主張する。

二  そこで、被告国の右主張について判断する。

1  措置法は、韓国及び同国民の財産権(<1> 日本国又はその国民に対する債権、<2> 担保権であって、日本国又はその国民の有する物又は債権を目的とするもの)であって、日韓協定二条三項にいう「財産、権利及び利益」に該当するものについては、昭和四〇年六月二二日において原則的に消滅したものとする旨規定しているところ(同法一項)、<証拠略>によれば、日韓協定の成立及び措置法の制定の経過について、次の事実が認められる(条約及び法律関係の事実は、当裁判所に顕著な事実である。)。

(一) サン・フランシスコ平和条約四条(a)において、いわゆる分離独立地域の施政を行っている当局及びそこの住民の日本国及び日本国民に対する請求権の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とするとされたことを受け、日本国と韓国は、財産及び請求権に関する問題についての交渉を開始したが、約一〇年間の討議の結果、請求権の法的根拠の有無についての両国の見解の相違、証拠資料の散逸等による事実関係の立証の困難等の理由から、韓国側の請求項目のうち、法的根拠があり、かつ、事実関係を十分に立証されたものについてのみ支払うという方式による解決が現実問題として非常に困難であることが判明した。しかし、日韓国交正常化の実現をいつまでも遅らせることは大局的見地からみて好ましくなく、将来に向けた両国間の友好関係の確立という要請もあった。そこで、この際、韓国の民生の安定、経済の発展に貢献することを目的とし、また、我が国の財政事情や韓国の経済開発計画のための資金の必要性をも勘案して、我が国が韓国に対し、三億ドルの無償供与及び二億ドルの長期低利の貸付けを行うこととし、これと並行して、日韓間の請求権問題については、完全かつ最終的に解決することとして、昭和四〇年六月二二日、日韓協定が署名されるに至った(同年一二月一八日効力発生)。

(二) 同協定二条は、「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産・権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、一九五一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」(一項)、「この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれ締約国が執った特別の措置の対象となったものを除く。)に影響を及ぼすものではない。(a)一方の締約国の国民で一九四七年八月一五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益、(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって一九四五年八月一五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいったもの」(二項)、「第二項の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることはできないものとする。」(三項)と規定している。

(三) 日韓協定の署名日である昭和四〇年六月二二日、日本政府と韓国政府との間で合意された議事録(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定についての合意された議事録。以下「本件合意議事録」という。)において、日韓協定二条にいう「財産、権利及び利益」とは、法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうことが了解され(本件合意議事録二項(a))、同協定二条三項の「措置」については、同条一項にいう両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題の解決のために執られるべきそれぞれの国の国内措置をいうことに意見の一致をみた(本件合意議事録二項(e))とされた。

(四) 日韓協定を受けて、韓国においては、請求権資金の運用及び管理に関する法律(昭和四一年二月)、対日民間請求権申告に関する法律(昭和四六年一月)及び対日民間請求権補償に関する法律(昭和四九年一二月)が制定され、韓国国民が有している昭和二〇年八月一五日までの日本国に対する民間請求権はこれらの法律に定める請求権資金の中から補償しなければならないものとされ、韓国政府は日本国からの前記無償供与資金三億ドル(当時の為替レートで一〇八〇億円)の一部でその補償を行った。

(五) 一方、我が国においては、日韓協定二条三項にいう国内法的「措置」として、措置法が制定され、同法において、韓国及び同国民の財産権であって、日韓協定二条三項にいう「財産、権利及び利益」に該当するものについては、昭和四〇年六月二二日において原則的に消滅したものとされた(同法一項)。

2  右認定によれば、日韓協定二条三項が、同条一項にいう「両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権」に関して、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、同条二項に掲げるものを除いて、いかなる主張もすることはできないものとした趣旨は、日韓両国は、相手国が執る国内措置について外交保護権を行使せず、財産、権利及び利益を含むすべての請求権について外交保護権を行使しないものとしたものであり、日韓協定の対象となっている請求権についてそれぞれ相手国がいかなる国内法的措置を執るかということは、それぞれの国の決定に委ねることを合意したものと解される。

そして、我が国は、日韓協定二条三項の国内法的措置として、措置法を制定し、韓国及び同国国民の財産権であって、同協定二条三項の財産、権利及び利益に該当するものは、昭和四〇年六月二二日において消滅したものとすることとしたのであるが(同法一項)、右規定からみて、同協定二条三項に該当する財産、権利及び利益からは同協定二条二項に掲げるものが除かれたものと解される。

3  しかるところ、原告崔聖欽は、本件未払給与請求権は、日韓協定の対象外である旨主張する。

(一) まず、原告崔聖欽は、本件未払給与請求権は、昭和二〇年八月から昭和二一年一〇月までの間の給与に係るものであるところ、同原告は、少なくとも昭和二一年一〇月一三日まで日本国民たる陸軍軍属であったから、日韓協定二条で解決されることになる「財産、権利及び利益」の対象外である旨主張する。

しかしながら、日韓協定及び措置法は、元日本国民であった韓国国民の財産権の処理を目的としたものであるから、原告崔聖欽が元日本国民であったということは、日韓協定の適用を除外する事由とはならないことは明らかである。したがって、原告崔聖欽の右主張は理由がない。

(二) また、原告崔聖欽は、本件未払給与請求権は、昭和二〇年(一九四五年)八月一五日以後における通常の接触の過程において取得された権利であるから、日韓協定二条二項(b)に当たり、日韓協定二条三項の対象外である旨主張する。

しかしながら、日韓協定二条二項(b)は、終戦後の通常の接触の過程において新たに発生した関係に基づく財産、権利及び利益を保護する趣旨で設けられたために、昭和二〇年八月一五日を基準とすることになったものと解され、<証拠略>によれば、日本政府と韓国政府は、本件合意議事録二項(d)により、「通常の接触」には、第二次世界大戦の戦闘状態の終結の結果として一方の国の国民で他方の国から引き揚げた者の引揚げ時までの間の他方の国の国民との取引等、終戦後に生じた特殊な状態の下における接触を含まないことを了解したことが認められる。

右によれば、昭和二〇年八月一五日以降に取得されたものであっても、終戦後戦地から韓国に引き揚げる間の軍属の給与請求権なども終戦後の特殊な状況下で生じたものとして、日韓協定二条二項(b)の「通常の接触の過程において取得」された財産等には当たらないものと解される。

(三) そして、原告崔聖欽の主張する給与請求権は、終戦後同原告が戦地であるスマトラ島から、逮捕拘禁されたシンガポールを経て、日本に引き揚げるまでのものであるから、日韓協定二条二項(b)にいう「通常の接触の過程において取得」された権利には該当しないものというべきである。南発券に関しても、同様である。

4  以上によれば、原告崔聖欽の主張する請求権は、日韓協定上の除外事由には何ら該当せず、同協定二条三項の「財産、権利及び利益」に含まれるものであって、措置法一項によって消滅の対象とされたものというべきである。

三  次に、原告崔聖欽は、日韓協定が相互に外交保護権の不行使を約束するだけのものであるのに、措置法は、憲法上保障されている財産権を相当の補償をすることなく消滅させる効果をもたらすものであるから、憲法二九条三項及び九八条に違反する旨主張する。

1  憲法二九条三項違反の主張について

日韓協定の成立及び措置法の制定の経過は前記認定のとおりであるところ、サン・フランシスコ平和条約は、当時、連合国の完全な支配下にあった日本国がその主権の回復を図るため、国の存亡をかけて不可避的に承認せざるを得なかった条約であり、日韓協定は、サン・フランシスコ平和条約において規定された朝鮮の分離独立に伴う財産及び請求権の処理として、日韓両国の国交正常化と友好関係の確立という極めて高度の外交的政治的判断によって、両国間の障害を取り除くために不可欠なものであるとして締結されたものであり、同協定に基づいて制定されたのが措置法なのである。同法において韓国の国民の一定の財産権を消滅させた措置も、右のような経緯で締結されたサン・フランシスコ平和条約、そして日韓協定に基づくものにほかならないのである。右のような国の分離独立というがごときは、本来憲法の予定していないところであって、憲法的秩序の枠外の問題である。そのための処理に関して損害が生じたとしても、それは戦争損害と同様まことにやむを得ない損害なのであり、その補償のごときは、憲法二九条三項の全く予想しないところといわなければならない。したがって、措置法が、相当の補償をすることなく財産権を消滅させることにしたことをもって、憲法二九条三項に違反するものとはいえないというべきである。

2  憲法九八条違反の主張について

日韓協定そのものは、韓国の国民の財産、権利及び利益を国内法上消滅させるものではなく、日韓両国それぞれの国内措置について、また、「財産、権利及び利益」を含むすべての請求権について、相互に外交保護権を行使しないことを定めているにとどまることは、前記のとおりであるが、他方日韓協定は、同協定の対象になっている実体的権利について、具体的にいかなる国内措置を執るかということを当該締約国の決定に委ねているものである。これを受けて、我が国は、日韓協定二条三項にいう「措置」として措置法を制定し、同法において、韓国の国民の一定の財産権を消滅させたものであって、右措置は、何ら日韓協定の規定・趣旨等に反するものではない。したがって、措置法は、憲法九八条に違反するものではない。

四  以上によれば、仮に、原告崔聖欽が本件未払給与請求権を有していたとしても、当該請求権は、日韓協定の実施に伴う措置法一項により、昭和四〇年六月二二日において消滅したものというべきである。

したがって、原告崔聖欽の本件未払給与請求は理由がないといわざるを得ない。

第六公務死であることの確認請求について(請求の趣旨5関係)

一  原告林永昌は、林永俊がサン・フランシスコ平和条約一一条に掲げる裁判により刑死した者であるから、戦傷病者援護法改正法附則二〇項の公務上の死亡と同視することを相当と認める者であると主張し、その旨の確認を求めているところ、右附則二〇項は、サン・フランシスコ平和条約一一条に掲げる裁判により拘禁された者が、当該拘禁中に死亡した場合で、かつ、厚生大臣が当該死亡を公務上の負傷又は疾病による死亡と同視することを相当と認めたときは、その者の遺族に遺族年金及び弔慰金を支給する旨規定している。

二  原告林永昌の右確認請求は、要するに、林永俊の遺族たる原告林永昌に遺族年金及び弔慰金を支給すべきことを前提として、林永俊の死を前記附則二〇項の公務死と確認することを求めているものと解される。

しかしながら、同附則二〇項の規定するところによると、公務上の負傷又は疾病による死亡と同視することを相当と認めるか否かについては、戦傷病者援護法の裁定権者である厚生大臣(同法六条)の裁量に委ねたものと解されるから、厚生大臣の裁定を経ないまま、林永俊の死を同附則二〇項の規定する公務死と確認するよう求める請求は、その適法性において問題があるところではあるが、その点は暫くおいても、戦傷病者援護法には、前記のようにいわゆる国籍条項があるのであるから、日本国籍を有しない原告林永昌は、同法の適用を受けられないものであって、同原告には、林永俊の死が公務死であるかどうかを確認する利益はないことが明らかである。

そして、戦傷病者援護法が国籍条項を設けていることが、憲法に違反するものでないことは前記のとおりである。

三  したがって、原告林永昌の公務死であることの確認請求は、確認の利益を欠くものとして不適法といわざるを得ない。

第七立法不作為違法確認請求について(請求の趣旨6関係)

一  原告らの請求の趣旨6は、本件元軍属らが被った刑死・長期拘禁による生命・身体の自由に関する損失について、被告国が補償に関する立法をしないことは違法であることの確認を求めるものである。

二  ところで、立法不作為の違法確認の訴えがいかなる類型のものであるかということは議論のあるところであるが、原告らの右請求は、本件元軍属らの被った右損失について、国会が補償を行うか否かについて単に立法権限を行使しないという不作為の違法確認を求めるものではなく、国会が、右生命・身体の自由に関する損失を積極的に補償する内容の法律を制定しないことの違法確認を求めるものである。そうすると、国会の右立法の不作為を違法というためには、国会に当該内容の補償立法をなすべき作為義務があることを前提とするから、右訴訟は、実質において国会に右のような立法義務があり、その義務を怠ることの違法確認を求めるものにほかならない。

しかし、国会及びこれを構成する国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではなく、国会ないし国会議員の立法の不作為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行わないというように、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、違法の評価を受けるものではない(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁、最高裁昭和六二年六月二六日第二小法廷判決・判例時報一二六二号一〇〇頁、最高裁平成七年一二月五日第三小法廷判決・判例時報一五六三号八一頁参照)。その上、裁判所が国会に対し、一定内容の法律を制定すべき義務を明示し、右義務の不履行を違法であると宣言することは、国権の最高機関かつ唯一の立法機関であり、全国民を代表する国会の立法裁量に対する過度の干渉となり、憲法上の原則である三権分立の制度を脅かすおそれがあるのみならず、確認の訴えにおける確認の利益は、判決をもって法律関係の存否を確定することが、その法律関係に関する法律上の紛争を直接的かつ抜本的に解決するため適切かつ必要である場合に認められるものであるが、制定すべき法律の内容が憲法上一義的に特定されない場合には、裁判所が判決をもって立法義務の不履行を違法である旨宣言したとしても、これにより立法府に対して実際に立法を義務付けることはできないのであるから、結局のところ、右判決は何らかの立法をしないことが違法であるという裁判所の単なる意見表明としての効果しかもたないことになる。そうすると、その内容が憲法上一義的に特定されない立法については、立法不作為の違法確認判決による権利救済、すなわち、右立法の不存在による具体的な不利益状態の解消は到底期待することができないのであるから、右判決を求める訴えは、当事者間の紛争の直接的かつ抜本的な解決のため適切かつ必要とはいえず、確認の利益を欠くものと解すべきである。

三  本件において、原告らの右請求は、本件元軍属らが「被った日本国の公務(犠牲)について、被告が国家補償立法を制定しないことは違法であること」の確認を求めるというものである。

しかし、本件元軍属らが被った損失に対する補償に関する立法は、我が国の国民感情、社会・経済・財政事情、国際環境及び他の戦争被害者に対する補償との均衡等の諸般の要素を勘案した極めて高度な政治的判断を要し、かつ、補償の対象、補償の額、補償方法、補償時期及び補償期間などを具体的に定めるについても、右要素を勘案した複雑な立法判断を要するものであるから、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行わないというように、容易に想定し難いような例外的な場合に当たらないのみならず、仮に、国会が憲法上、前記本件元軍属らが被った損失に対する何らかの補償立法をなすべき作為義務があることを措定したとしても、かかる補償立法の制定は、前記諸要素を勘案した複雑な立法判断を要するものであるから、裁判所が抽象的に右補償立法を制定しない不作為が違法である旨宣言したとしても、右補償立法の不存在により原告らが被っている不利益状態が直ちに解消されるものとは考え難く、右違法確認判決が、原告らと被告国との間の紛争を直接的かつ抜本的に解決するために適切かつ必要であるとはいえない。

したがって、原告らの右請求に係る訴えは、確認の利益を欠くものとして不適法というべきであり、却下を免れない。

第八結論

以上のとおり原告らの請求の趣旨1ないし4の請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、同5及び6の請求に係る訴えは、いずれも不適法であるからこれを却下することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 大槁弘 西口元 澤井知子)

刑死者目録

林永俊 昭和二二年(一九四七年)七月一八日執行

拘禁者目録

(氏名) (刑) (拘禁期間)

李義度 実刑五年 四年

崔元周 不起訴  七か月

崔榮台 不起訴  二年四か月

丁永太 不起訴  一年一か月

申明休 実刑五年 四年八か月

崔聖欽 不起訴  一年一か月

陸永萬 実刑三年 三年

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